ボクの中学受験地獄体験記[本編3]毎週日曜テスト地獄

注意
この話は中学受験を無理矢理やらされていた体験記です。読んだら不快感を抱く可能性があります。また幼い日々の記憶を辿っているため、時系列が正確でない可能性があり、進行具合がおかしい可能性があります。また、母親を始め登場する人物には子供のときに感じたまま表現するつもりなので、言葉が悪くなる可能性があります。何卒ご了承ください。今の母親は本当に好きですし、いつまでも元気でいてほしいと願っています。「ただ当時は…」という話なのでそこは割り切って読んでいただけたら幸いです。

毎週日曜はテスト

5年生からだったのか、多分そのくらい程度で全く記憶がないが、◯◯◯◯という日曜日に模試が毎週行われるというものを受けさせられることになった。平日6日で培った知識を日曜の模試にぶつけるという僕からした単なる苦行である。まずこの模試を受け始めてからいちばん苦労していたのは母だった。僕に教えないといけないからだ。夜はつきっきりで一緒に勉強。今思うと大変だったろうなと思う反面、そこまでやるというのはある意味すごい。その頃無性にプロ野球にハマっていて、ニュースステーションという今でいう報道ステーションの前身の番組で久米宏がやっていた頃で、その中のスポーツコーナーを楽しみにしていた。時間で言うと22時30分頃に大体始まる。ただ母親の勉強の強制が長引くと見逃してしまう。それがすごいストレスだった。わざと眠い芝居を打ったり、返事もそっけない感じを演じていた。その度に怒られるわけなんだけど、懲りずにずっとやって怒られていた。「息子は受験に対してやる気がないこと」を伝えたかったわけなんだけどダメだった。

その頃から学校から帰ってから遊びに行くときには、母親が用意している勉強をしていかないと遊びに行けなかった。だから友達にはいつも遅いなーと言われていた。それが嫌だったし、遅れていくから置いてけぼりにされることもあった。本当に嫌だった。母親がいないときには答えを全部写して遊びに行った。答えが置いてある場所をつきとめていた。しかし、そのまま写すと全部正解になってバレるので、わざと間違えることをやっていた。そうすることでリアリティがでると考えていた。今思えばバレていたとは思うけど。そういう悪知恵はどんどんついていった。

◯◯◯◯という模試を受けることになってから塾に行く日が増えた。水曜と木曜が追加され週3日になった。そこで確か初めて親に「行きたくない!」と訴えた。そしていい機会だと言わんばかり今までの鬱憤もすべてぶちまけた。やりたくないし行きたくないということを。しかし「あなたのためにやってるんだから」のようなことをずっと言われてやめられなかった。そしてなぜ爆発したのかと言うと水曜日は黄金の日。通っていた小学校は水曜日は全生徒4時間授業で僕のクラスは授業が算数体育図画工作2時間という素晴らしいものであり、午後はめいっぱい遊べて、さらには夜にはドラゴンボールZがある。そんな日素晴らしい日に無意味な人生でいちばん嫌いな塾にいくなんてありえなかった。結局、ビデオに録画してくれることになったがそれはなんか違う。こっちはリアルタイムで観たいわけ。ちなみに何度か忘れられたりして本気で怒ったこともあった。

今はどうなのか知りたくもないけど、◯◯◯◯は確か最初に模試を受けて正会員と準会員に振り分けられる。僕は当然のごとく準会員なわけだったが、親からは会員を目指せと言われるわけだ。それもストレスだし、ましてや成績上位は毎週水曜日か木曜日くらいに送られてくる試験結果用紙に名前が載るというもの。当時も思っていたけど思い出しても本当に気持ち悪い。今もやってるのか知らないけれど。もちろんのことずっと準会員だった。正会員に魅力も何も感じなかったのでどうでもよかった。

やる気がないのに毎週テストを受ける。自宅から遠い専門学校の校舎などを借りて模試をする。そして模試が終わったら今度は直前に受けた模試の解説を講師がする。日曜日はいつからやっていたか覚えていないけど16時過ぎに終わっていた。もちろんのこと講義の話なんて聞いていない。そしてそんなことより終わってから校舎から出ると親たちが迎えにきている様が見える。それには恐怖を感じていた。僕は一人がいいとお願いして帰っていたので迎えはなかったが、子に群がる親の群衆が本当に恐かった。「どうだった?」「がんばったね!」そんな声が聞こえて来る。「こいつらは本気でやってんのかな?」などと、そんなことを考えながら、中学受験に向かう連中のなんとも言えない違和感を感じていた。そして早くその場から逃れたいと足早に帰っていた。そして日曜の残り少ない時間だけど友達と遊んだ。今思えば1時間とちょっとなのによく遊んでくれたものだ。

束の間の楽しみ

良い思い出は5年当時の小学校の担任がはちゃめちゃなおばちゃんでキレると手がつけられない人になり学校は楽しかった。この方は今教師をやっていれば確実に問題になる人だ。例えば子供がちょっとやらかすと怒涛の如く喚き散らす。給食の時間は食器をフリスビーのように投げる。そして割れる。自分で掃除する。キレると1時間はキレているので帰りの会でキレると5時間授業だったのに帰りの時間は6時間授業と同じになった。ただ子供に手をあげることはなかった。子供たちはやばい人が来た!といってどこか楽しんでいた。そして親たちもこの人おかしいなと思っていたらしいけど特に問題にならなかった。今では無理だろう。貴重な体験をさせてもらった。でもこの人は後の記事で書くつもりだけど情をきちんと持ち合わせている人だった。単純に喜怒哀楽が出過ぎると言う人だったのだと今は思う。

時系列がよくわからないけど、こんな感じで小学5年は過ぎていった。通い始めて1年以上たったころ、心に異変が起き始めてきた。

次回 もうサボっちゃおうかな。

ボクの中学受験地獄体験記[序章1] ボクの中学受験地獄体験記[序章2] ボクの中学受験地獄体験記[本編1]地獄の入り口 ボクの中学受験地獄体験記[本編2]塾という施設に通い始めて