人見知りがデザイン事務所で働いていたお話です

思えばよく人見知りの自分が事務所で働いていたなと思います。

人見知りってどんな感じなのか詳しく調べたことがないので勝手に自分は人見知りって思ってます。大勢の中だと全く話しません。なんだろうか、社会では話すことがとにかく苦痛なんですね。ただ飲みで話すのは大好きなので根本的には会話は好きなはずです。めんどくさいことに日本社会ではこれがなぜかダメで皆と一緒のようにしろって言われるんですよね。みんな違っていいじゃないですか。

今までを振り返ると集団で何か物事をするのが苦手で生きてきました。苦手というか性に合わないんですね。思い返せば小学生の頃からそうでした。学芸会とか運動会とか。なんか嫌でしたね。皆で同じことをやることに。でも負けん気があるので適当にはできませんでしたが、嫌でしたね。

こんな性格であれば仕事やるとしたアーティストになるしかないですね。事務所の連中も皆同じ感じでしたね。自己顕示欲が強くて自分自分みたいなそんな感じでした。人の話を聞いているようで全く聞いていない。ただデザインに対しての意識は強かったのでそこは良かったなと思います。関わる人はめんどくさいと思いますけどね。出しすぎると仕事になりませんからね。まぁ、どの人も押し殺してやってるのかもしれませんね、それがいいのかどうかは別としてね。

そういう連中を見てきていたのでデザイン事務所を辞めた後、よくある代理店を何社か転々としてきて、渡された仕事をただやっている人が多いことに驚きました。拘りも工夫も何もないんですね。何もやりたいことがないのに大学行くと同じような考えみたいなもんで、そんなんでなんでこの仕事やってんの?みたいなデザイナーが多かったです。中にはデザインに全く興味ない人もいましたよ。

ぶっ飛んだ本気の人たちがわんさかいる職場はいっぱいあると思いますが、たまたまそういう人たちに会う機会が多くあった様に思います。そういう連中は特に目的がなく生活の金があればいいので居残ります。するとそういう連中が増えてくるとやる気のある連中は外に出ます。そして会社は停滞し成長せずどんどん古くなって社員の平均年齢も上がって若いのが入ってこなくなる。若い人が定着しないと嘆いてる中小企業は大抵は会社に問題あると思いますよ。林修が世の中は無能の管理職が溢れているという話をしていたそうですが、ものすごく納得できます。そういう連中がおっさんやおばさんになって管理職に回る可能性があるからです。

こういう話をする記事ではないので戻しますが、会社に依存しない人はフリーランスだったり独立したりしてるんでしょうね。僕は今のところそうなる度胸がないもんで会社に所属していますが、あるときから心の中で個人商店の気持ちでやってます。そうすると周りの同僚に対してそこまで深入りしなくなるのである程度は気持ちが楽になりました。今は人見知りだらけの職場にいるので気が楽です。環境は大事ですねー。

でもね、人見知りであっても話が合う人はちゃんといるんですよ、どの職場にもね。親友が1,2人くらいいれば十分みたいなもんで、仕事場もそんなもんなんだろうなって思うようになりました。今までの職場には必ずそういった人たちはいましたし、辞めた後も飲んでいます。くだらない前置きはこんくらいにして事務所時代の話を始めましょうか。

書き終えてなんですが、人見知りの話なのかなんなのか分からなくなってしまいました。体験談としてお読みください。

詳細のその前に

僕が働いていたのは2000年代になります。事務所のあるある的な根本的な体質は変わっていないと思うのです。なぜかというと日本の大手の企業でさえ体質が古すぎると言われるように会社はそんなに急激に変化しません。この記事はこれから事務所に行く可能性のある学生や社会人の方々のためになればと思い書きました。また事務所ごとに特色があるのでなんとも言えませんが、あくまで僕が事務所で経験したことに過ぎませんので、そこのところは念頭に置いて読んでくれればと思います。ちなみに事務所の代表は全盛期が昭和の方です。当時で60ちょっと過ぎでしたので。今でいうブラックなところですが、温かい目でお読みください。今はもうないと思います。多分、ですが。

概 要

エディトリアルデザイン事務所:A(仮)

従業員:5人

勤務時間:10時〜18時(退社22時〜24時の間)

給与:18万円 ボーナス:有(ただし業績による)

昇給:あり 残業手当:なし 夕食補助:あり

結論から言うとどんなところかわかってれば行かなかったと思います。だって人見知りですし。ただ、熱く燃えたぎった尖った若い新卒のころでしたので、自分の力を試しにととにかく力をつけたいとどこへでも行ってやりたいという気持ちがありました。あの頃の自然に湧き出ていたエネルギーや意欲は若い頃ならではですね。勤務していた事務所は代表が制作物の全般のアートディレクションをしていたので、制作物は全て代表を通さなくてはならないものでした。まあデザイン事務所とはそういうもんでしょう。ですので、今の歳でそれをやっていたらちょっと疲れますね。代表が作り上げるものに心底惚れ込んでいたら話は違いますけどね、残念ながらそうではありませんでした。でも文字組みのこだわりは好きでした。レイアウトは上手い方でしたし。プロだからこそ厳しかったと今更ながらわかりました。

働くキッカケ

僕の時代(2000年代初期なので)でもすでに学生時代にウェブの授業はありましたが、誌面のレイアウトのデザインに惹かれてしまったのでその方面の仕事を探していました。就職活動のときに何社か受けて、即日内定をもらった企業がありました。ベンチャー気質な創業3年目くらいだったような若い会社です。行きたい何社かの会社は狭き門で通りませんでしたのでそこに行くことにしました。

しかし、5人いたデザイナーがどう見ても意志なく働いてる系でその中のひとりは社長がラーメン屋で話が合ったからと連れてきたと言っていた人。その人たちとモチベーションがあまりにも合わないので試用期間早々に辞めました。きちんと辞める理由も説明しましたよ。めんどくさい奴だなと思われたでしょうね。そこでまた探し始め運良くすぐ決まったのが事務所Aです。

事務所での仕事

1日の流れは10時出勤→13時昼食→16時ミーティング休憩→19時夕食→23時頃退社です。徹夜がなかったのがせめてもの救いでした。雑誌誌面のレイアウトを朝から晩までそれを一年中やっている事務所です。たまに撮影にいったり、出張校正とかの外出がありましたが大抵は事務所内に缶詰です。

新人はそれに朝の掃除、来客時の応対・お茶出し、電話応対、休憩時間のコーヒー・お菓子買い出し、夕食手配片付けなどやることが結構ありました。僕は3年半いましたが新人がまったく入ってこなかったので2年半くらいやっていました。1年半過ぎたあたりから苦行に思えるようになっており、2年半以降に新人が入ってきてその苦行がなくなったとき楽さと言ったら亀仙人の修行の亀の甲らを背負うやつみたいな感覚ですよ。めっちゃ早く走れるみたいな。まぁデザインの腕は飛躍的に上がりませんでしたけど。

最初の頃はフォーマットのある記事の流し込みばかりしていました。あとは使用する画像のポジをスキャンで読み取りアタリ画像を作ってました。最初の一年はレイアウトというレイアウトはさせてもらえなかったような気がしますが、代表のレイアウトを真似てひたすらページ制作をこなしていました。

いちばん嫌だったのが代表が後ろに立って位置を細かく言ってくるので間違いなくレイアウトしなくてはなりませんでした。緊張の連続でした。デザインをしては怒られ、ちなみに僕より歳が近い先輩がいましたがやはり怒られていました。大抵言われる言葉が「期待して損したよ」でした。結局一度も期待に添えれることなく辞めてしまいましたね。ただ思い返せば、このときにやっていたことがあったお陰で、甘い考えはなくなり、転職後甘い考えの人が多いことがわかり結構愕然としましたね。

人間関係

事務所は大抵は少人数だと思います。毎日その連中と朝から夜遅くまでいるわけですから、なんとも言えない窮屈さを感じていました。ましてや休日出勤も結構あったので休みも顔を合わせなくてはいけないのかとうんざりもしていました。

人間関係は悪くはなかったですが、繁忙期は皆疲れのせいか性格悪くなってましたね。なんすかね、あの特有な感じ。後で書きますがそれが原因で代表と喧嘩をすることになるのです。

少人数なので人見知りには地獄です。人見知りは社会は生きづらいなと思い始めたのがこの頃です。なんでみんな同じように振る舞いをしないといけないのか?と疑問を持ち始めました。それについて怒られましたよ。守りませんでしたけどね。今思うのが日本の教育の根本的なところの洗脳なんでしょうかね。皆と同じでなければいけないという謎の意識の刷り込みがあるのでしょうか。

休日

繁忙期以外は土日は休めていました。ただし金曜日の夜代表から何を言われるかビクビクしていました。19時過ぎに唐突に名前を呼ばれると休日出勤決定です。もちろん手当はないです。代休もありません。

月刊誌と季刊誌とムックが重なる最悪のときがたまにやってくるのですがそのときは必ず土日は吹っ飛びました。いちばん嫌いだったのが土曜の午前出て午後休、次の日曜フルという謎のスケジュールでした。こういう週は休んでる感覚は皆無でした。代表が「自分の若い頃は会社にずっといてほぼ家に帰ってなかったぞ」というんですけど、そんなの知らんがなって聞くたびに思ってました。それに習えとでも言いたいんでしょうけど同意はできませんよね。自分の意志でなら話は別ですが。他人の過去の話ほどどうでもいいものはないですね。

有給休暇なんてものはなく、代表がいきなりこう言うんです。

「◯◯くん、今仕事落ち着いてきたから明日休んで。」

嬉しいけどなんか違うなと。いきなり休みになるので。ちなみに夏休みもGWもほとんどなかったですね。しっかり休めるのは年末年始くらいでした。当時有給休暇というものの存在を知らなかったと思います。

思い出すのが友人たちも休みがないところに行っていて新卒1年目のGWに知り合いのカップルの彼女がGW全出勤になって泣いてました。なぜか報告を彼氏が僕に電話してくるという謎の行動で知ったのですが。なんでわざわざそんなこと報告してくるんだろうと不思議に思いましたりあれは5月病だったのでしょうかね。みんな新卒1,2年目は大変そうでした。カタチだけで意志のない連中は大体そこら辺でデザインを辞めていきます。それはそれで素晴らしいですよ。やってみて自分には合っていないとわかったわけですから。

お金

そして給与の面はもちろん薄給でした。3年半働いて最後まで額面18万くらいでした。手取りは当然もっと低いわけです。昇給も特になくボーナスはかろうじて出ていました、確か0.4ヶ月分くらい。最後の年は経営難となりボーナスなし。もちろん残業手当という概念はもちろんありませんでした。一度代表に聞いたらそんなことを考えて働いてるのか!と物凄く怒られました。

2年目くらいから精神的にキツくなる

2年目くらいになると次第に事務所という空間が身体に異変を感じるようになってきました。最初の頃は代表とも結構話していたんですが、2年目くらいから仕事以外お話はほぼ0に。仕事の忙しさや疲れストレスなどで不調になっていきました。

気を遣いまくっていたのですが、それが積み重なって話すのが本当にめんどくさくなっていき、誰とも話さなくなりました。そうすると話すことに対して自分に気を遣うようになってしまったのです。意味がわからないかもしれませんがそういうことなのです。そして多忙も重なりどんどん追い詰められて行きました。ましてや毎日終電に連日の休日出勤、自分ではもうよくどうしようもなくなり苦しいので心療内科にいくことにしました。

同時期に友達も数人精神をやられていたことをあとで知ることになります。2年目にガクッとくる人来るのかなと。精神的にやられた連中は今でも元気にデザインやってます!

結論からいってしまうと薬漬けにされそうになったので途中で行くのをやめました(真似しちゃダメですよ)。あんなの飲んで本当に改善するのか今でも信じられないですね。確か5ヶ月くらい飲みましたけどなんの変化もなかったです。医者が言うには飲み続けていくことに意味があると。申し訳ないけどそういうものだからと適当に言ってる感じがしましたよ。心療内科っててっきり話を聞いてくれるのかと思っていたのですが、これは単に俺の勘違いでした。本当はいけないらしいんですが、途中で医者を何度か変えましたがどこも同じでした。なので本当になにも改善しなかった。あそこでもらったアドバイスは何一つ覚えてません。1,000円くらいで本買った方がいいんじゃないかな。

僕はおそらく症状が軽かったのかなんとか持ち堪えることができました。貴重な土曜日に医者に行くということにも相当ストレスになってきたのもありました。ましてや物凄く混んでいたっていうのもありますが、それと同時にみんな精神面が疲れているのだなと思ったものです。みんな大丈夫かよって思いましたもん。俺もそう思われてたのかなー。そんな日々でした。

ただナルコレプシーかなと思うくらい、仕事中睡魔が来ていたのはこの時期でした。気がつかないうちに寝てしまっていて、引っ叩かれて起こされたことが何度もあります。授業中にくる睡魔と違い質が違います。なんと言うか一気に襲いかかってくる感じの。調べてみたらどうやら精神的な話につながるみたいです。こわいすねー。

爆発する

精神もボロついてきて、ましてや休みもないときの土曜日でした。僕が出社するとボスが何やら怒っています。どうやら入稿したデータにミスがあったようでした。そのデータは僕が作ったものではなく先輩でした。なのにも関わらず僕がやったものと勘違いして怒ってきたのです。さすがにこれはカチンときてしまって、頭の中で何かがキレました。そして本気の喧嘩になってしまいました。会社の代表と溜め口と汚い言葉で。なんと言ったか覚えてませんが、このキレたことがきっかけで何かが吹っ切れました。僕の中ではあのときの喧嘩は本当にして良かったと思っています。なぜかというと何をしてもとれなかったストレスがべろっと剥がれた気がしました。現に楽になったのを覚えています。ときには感情を爆発させることは大事なのではと思います。現代人はあまりにも感情をださなさすぎるのでは?と思います。言うべきときは言うべきです。我慢し続けるのはいかんのです。時々ガス抜きは絶対に必要ですよ。この頃から人見知りながら自分を出すようになってきました。

結局は自分で辞めるというより、事業縮小

最後はあっけないもんで会社の規模を小さくするということになり2人を切ることになったのです。あまり事業縮小がなければもしかしたらもうちょっといたかもしれません。辞めるか後を継ぐかという極端かつ究極な選択を迫られたので辞める方を選びました。もしかしたら今の歳だったら、後継ぎになるかもしれませんね。なんせ客いるんですもん。まぁ、そんな甘く簡単にはいかないでしょうけど。よくもまぁ、あの頃の僕に後を継ぐという話を言ってくれましたよ。不思議だ。

最後に

辛かったけれど人生で貴重で重要な期間であったこと、精神面はボロついたけれどその反面ちょっとは強くなれたこと、デザインに対しての考え方、仕事としてのデザインの考え方、そして何よりも重要な「デザインを見る目」を養えたこと。

また、考え方を変えればデザインを教えてもらいながらお金がもらえる環境でした。今ではそう思えますが当時はそんな考えにはいたりませんでしたね、残念。

結論としては事務所で働いて良かったと思っています。自分の性格的にそれがあったから今こう言う考え方ができている、また技術が培われたなど意外とポジティブに考えられるのです。人生上そういう時期があったと振り返ることもできるので。

デザイン系は自分をガンガン出せる人、人と協力し合うのが好きな人、よく話す人、黙々と作業したいても決めるときには決められる人は向いていると思います。特に尖ったものを創って行きたい人は。

ではデザインで頑張ってる方々、これから目指す方、共にがんばりましょう!