「ホスピタルアート」とは?スウェーデンに学ぶ効果と期待

[ 最終更新日 08.07.2023 ]

皆さんは「ホスピタルアート」という言葉を聞いたことはありますか?ホスピタルは病院、アートは芸術なので、なんとなく病院で行われる芸術活動なのかな、と予想できるかもしれません。ホスピタルアートとはその名の通り、病院という公共空間で、絵画などのアート作品を通じて「見る人」の心を穏やかに・豊かにする活動のことをいいます。

普通の美術展などとは異なり、ここでいう「見る人」は主に病院の入院患者さんや、外来の待合室に来ている患者さん、その家族となります。患者さんには風邪を引いている方がいれば、怪我をしている方もいて、あるいは末期のがんを患っている方もいるかもしれません。中にはアートに興味のない方もいるでしょう。そういった様々な背景を抱えた方々に配慮され、展示される場の環境を考え、心地よい空間にすることがホスピタルアートでは求められます。

そんなホスピタルアートに期待される効果や、日本での導入事例、課題、今後の展望についてご紹介します。

スウェーデンの「1%ルール」に学ぶ医療とアートの融合

ホスピタルアートは日本ではまだ聞きなれない方も多いかと思いますが、北欧やイギリスなどの病院では定着している概念です。ホスピタルアートの先進国といわれるスウェーデンには通称「1%ルール」という法律があり、公共建築の全体予算の1%以上をアートに充てることが義務付けられていて、病院も対象となっています。この法律は1937年に導入されているため、もう80年も国を挙げてアートを大事にし続けているのです。

ホスピタルアートに期待される効果

さて、それではホスピタルアートにはどのような効果が期待できるのでしょうか。デザインを医療現場に取り入れる研究は海外で進んでいて、「エビデンス・ベースド・デザイン(科学的根拠に基づくデザイン)」と呼ばれる研究分野が生まれています。1984年にアメリカの「サイエンス」に、「窓のある病室に入院している患者は、窓のない病室の患者に比べて、より痛みの少ない薬物治療で済み、回復も早い」という論文が発表されたのが発端です1)。これ以降、患者の気持ちを和らげ、病院を心地よい環境にしようという取り組みが進むようになりました。

日本での医学的なデータや文献は多くはありませんが、横浜市立大学附属病院で行われたアンケート調査をひとつご紹介します。
ホスピタルアートを見たときの快・不快の印象について尋ねたところ、「いつも快い」または「時々快い」と答えた方が73%だったという結果が出ています。「特に感じない」方も23%いますが、「時々不快になる」、「いつも不快になる」と答えた方はそれぞれ2%です。ホスピタルアートがあることによって、プラスに感じる方が多いことがわかります。また、病院にいる時間の長い方ほど、意識してアートを見ていて、快いと感じていることもわかりました。

対象:横浜市立大学附属病院の外来患者150名のうち、有効回答者数112名
方法:待合室壁面のホスピタルアートに対する鑑賞行動について、個別質問状に鑑賞頻度・印象を記入する。
対象期間:2009/9/15〜16の2日間
出典:吉岡聖美:デザイン学研究, 59(3), 3_31-3_38, 2012

ホスピタルアートを取り入れている病院紹介

日本でも少しずつ、ホスピタルアートの導入事例が増えてきました。ここでは代表的な取り組みを3つご紹介します。

(1)四国こどもとおとなの医療センターの事例

四国こどもとおとなの医療センターでは、院内だけでなく、庭園や外壁画など、病院の至るところにアートが取り入れられています。ホスピタルアートディレクターの森合音(もりあいね)さんという方がこちらの病院に勤務されていて、ホスピタルアートに力を入れている病院です。優れた医療福祉建築を表彰する一般社団法人日本医療福祉建築協会の「医療福祉建築賞2016」では、準賞を獲得しています。
どのようなコンセプトに基づいてアートを取り込んでいるのかは、病院の公式サイトに掲載されています。思わず病院であることを忘れてしまいそうな、リラックスできそうな空間がとても素敵です。
▶︎独立行政法人国立病院機構 四国こどもとおとなの医療センター「ホスピタルアート」

(2)山口県立総合医療センターの事例

山口県立総合医療センター 総合周産期母子医療センターの取り組みにも注目です。周産期医療センターは、重症度の高い赤ちゃんへ、高度な医療・看護を提供する場です。そんな赤ちゃんを預けて、離れ離れになるお父さん・お母さんの不安な気持ちは計り知れません。山口県立総合医療センターだよりvol.22によると、面会に来る家族に少しでもあたたかさを届けたいとの思いで、ホスピタルアートを取り入れることにしたそうです。そこで山口県立大学の国際文化学部文化創造学科の学生が、制作をすることになりました。

病院のWebサイトからは院内のアートを確認できませんが、山口県立大学の先生が執筆された研究結果の論文では、デザインの図案、提案から病院側の合意を得る過程や、「病院らしくない感じが良い」といったその後の評価などが詳しく紹介されています。また、下記の大学の公式動画では、病院から依頼を受けた学生の制作過程を配信しています。

看護師などの医療従事者も参加しているところがよいですね。「病院の意向」だけで進めるのではなく、働く側の視点も入ることで理解が進み、医療を提供する空間をよりよいものにしようという考えが根付いていくのではないでしょうか。

(3)近畿大学医学部附属病院・奈良病院の事例

近畿大学の学部関連系の事例も興味深いです。近畿大学医学部附属病院の小児病棟では、医療提供を受ける患者やその家族へ心理的な支援を提供する専門職、チャイルド・ライフ・スペシャリストを配属させています。この資格は取得が難しく認知度もそれほど高くないため、日本でのチャイルド・ライフ・スペシャリストの資格保有者は、2017年4月時点で41人しかいません。そのため近畿大学医学部附属病院は、子どもの心理的なケアを重視している病院といえるでしょう。

そして近畿大学では2009年から、医学部と文芸学部が共同して、ホスピタルアートの普及活動「HARTプロジェクト」を推進しています。病院が患者さんを精神的にも身体的にも癒す場とすることで、病院をより快適な空間に変えることを目指すプロジェクトです。絵画だけでなく、演劇などのパフォーマンスや、音楽会なども開催しています。
奈良病院の小児病棟処置室について、近畿大学のニュースリリースで紹介されています。鹿の足あとを模したフロアサインや、隠し絵のハート探し、動物マグネット遊びは優しい印象を受けます。大人でも恐怖を覚えるような処置を受けなくてはならない子どもたちの痛みが、少しでもやわらぐ場所を目指したというコンセプトにも納得です。
▶︎近畿大学奈良病院ニュース&コラム, 2019/7/16

(4)耳原総合病院の事例

大阪府堺市にある耳原総合病院は、ホスピタルアートの導入に積極的な珍しい病院です。院内にはホスピタルアート部門があり、2013年からはホスピタルアートディレクターの室野愛子さんが在籍しています。病院の外壁、内壁、エントランスホール、待合室、入院室、そして地域交流のエリアや庭まで、院内のあらゆる場所をアートと音楽が楽しめる空間に変えています。

作品作りにはプロの画家や陶芸家、音楽家の方々が関わるなど、アートの中でもそのジャンルと表現の幅は広く、職員とも一緒になって取り組んでいる点も特徴的です。コロナ禍で家族との面会が禁止される厳しい環境下においては、患者さんの心を癒すことに役立っていたといいます。

▶︎耳原総合病院「ホスピタルアート」

(5)まだまだ知りたいホスピタルアート導入事例

今回3つの病院を紹介しましたが、この他にも様々な事例がありますので、興味のある方は以下の病院の事例についてもご覧ください。

徳島大学病院 ホスピタルギャラリーbe

病院内にギャラリーがあり、継続的に様々な展覧会を開催しています。無印良品のプロダクトデザイナーとしても有名な、武蔵野美術大学教授の深澤直人さんと、武蔵美の学生が手がけています。

横浜市立大学附属病院 市民総合医療センター 小児病棟

The garden of the livings(生きものの庭)と名付けられた、カラフルであたたかみのある作品が印象的です。

春日部市立医療センター

春日部市にゆかりのある芸術家が協力し、様々なアート作品が飾られています。特に緩和ケア病棟の桐材でできた壁からは、木のぬくもりが感じられます。

独立行政法人 労働者健康安全機構 関西ろうさい病院

ボランティアによる約200点のアート作品が展示されています。油絵や立体作品など展示内容も多様で、まるで美術館のような空間です。

筑波大学附属病院

筑波大学の学生アートチーム「アスパラガス」が、2002年から活動を行なっています。普段の活動やイベントの様子、作品がサイトで紹介されています。

中国電力株式会社 中電病院

放射線科の壁面にあるアート作品は、画家の黒田征太郎さんによるものです。人が少しずつ元気になっていくイメージから、木々が芽吹き、小鳥が歌う味のあるイラストが描かれています。

大阪大学歯学部附属病院

大阪大学歯学部附属病院では、NPO法人artsprojectとタッグを組み、ホスピタルアートに力を入れています。口唇裂・口蓋裂・口腔顔面成育治療センターの施工は2021年2月と比較的新しい取り組みで、クラウドファンディングにより実現したそうです。

▶︎小児医療センターの施工の様子
▶︎口唇裂・口蓋裂・口腔顔面成育治療センターの施工の様子

ホスピタルアートの課題と今後への期待は?

ホスピタルアートの様々な取り組みを紹介してきました。こうしてみると、大学とタッグを組む、あるいは寄付を集めて実施している医療機関が多いように感じます。やはり制作費や維持費はかかりますし、病院の費用をアートに充てることへは反対も大きいことでしょう。また、小児科系での導入実績が多いようにも見受けられます。その他の診療科や施設ではさらに導入のハードルが高いかもしれません。音楽療法などと同様、医学的エビデンスに乏しいなかで、こういった取り組みを推進していくのは難しいことです。

しかし、手術を控え不安な気持ちを抱えた患者さん、それを待つご家族の不安、親と離れ寂しい想いをしている入院中の子どもなど、あらゆる患者さんの気持ちを考えたケアは、患者さんから選ばれる病院になるためにも、求められてくるのではないでしょうか。導入する病院が少しずつでも増えて、取り組みが広がっていくといいなと思います。


1)View through a Window May Influence Recovery from Surgery. Roger S. Ulrich. Science, New Series, Volume 224, Issue 4647 (Apr. 27, 1984), 420-421.

Posted by
sholo

下町生まれ下町育ちの会社員。ウェブの企画・編集の仕事をしています。ライブに行くこと、三味線を弾くこと、映画を観ることなどが好き。