ボクの中学受験地獄体験記[本編1]地獄の入り口

[ 最終更新日 11.01.2021 ]

[alert title=”注意”]この話は中学受験を無理矢理やらされていた体験記です。読んだら不快感を感じる可能性があります。また幼い日々の記憶を辿っているため、時系列が正確でない可能性があり、進行具合がおかしいところがある可能性があります。予めご了承ください。また、母親を始め登場する人物には子供のときに感じたまま表現するつもりなので、言葉が悪くなる可能性がありますが、そこのところはどうかご容赦ください。今の母親は本当に好きですし、いつまでも元気でいてほしいと願っています。「ただ当時は…」という話なのでそこは割り切って読んでいただけたら幸いです。[/alert]

実を言うと最初の頃は電車に乗って塾に通うことは、ちょっと大人になったような気がして嬉しかったんだ。

小学4年生時代を思い返す

僕が受験を経験したのは90年代前半のこと。クラスで受験をする子は僕を含め6人だった。今はクラスではどれくらいが受けるんだろう。6人だったからか受験をしていた同級生たちの名前と顔をはっきりと覚えている。受験組ということで意味クラスの中では全員浮いていたからかな。余談だけど中途半端なやつほど名前も顔も出てこないもんだ。暗い・静かすぎる・うるさい・よく話す・趣味がしっかりしているなどと特徴がある人間の方が覚えている。金魚の糞みたいな連中は記憶から消える。簡単にいうとスネ夫タイプの連中。中立な立場と思いきやそんなもんでもなんでもない、有利な方にすぐ傾く中途半端な連中だ。大人になってもたくさんいらっしゃる。受験組の奴らはスネ夫タイプの連中はいなかった気がするけどどうだろう。我が強いやつか大人しいやつかのどっちかだった気がする。

大人しいやつは親にやらされている確率がかなり高いと思う。僕はどっちかといえば大人しいタイプだったと思うけど、人前ではそうなるタイプなだけで大人しくはなかったけれど、ガキ故に親に丸め込まれてしまった。

受験させられることになった理由とは

そもそもなぜ受験をすることになったのか、塾に通うことになったのかというと発端は母親だ。親父はほぼノータッチだったと思う。全然介入してこなかった。たった一度だけ将来について深く話したことがあるくらいだ。その反面母親が子供を進学校に行かせたがっていた。理由を聞いても未だにはぐらかされるから本心は不明だ。なぜなんだろう。

僕が30になった頃くらいにすっきりしたいと思いこの話題を振って話したことがあるが、お互いの主張は全く食い違っていた。母親は「あなたが受験したいからさせてあげた」と言っていたけどこれは間違いなくありえないのだ。行きたくなるキッカケすらない。ましてや姉が受験をさせられているのをみて、やらされたら嫌だなと思っていたくらいだし。通いだしてからは塾に行きたくないことを何度も訴えていたし、その度に「将来のためなんだから」と言うことでねじ伏せられていた。そもそも自分にとっては理由なき受験だったので、受験なんてする意味がなかったし、したくもなかったわけである。

僕が覚えている発端はこうだ。全ては姉の言動を鵜呑みにしたことから始まる。姉が幼い頃に「医者になりたいな」と言ったことが始まりだ。小学生4年から塾に通わされ中学受験に成功してしまう。それに続けてと言わんばかりに僕にも降りかかってきたわけで受験をすることになってしまったわけだが、姉に聞いたら「そんなこと言っていたとしても4歳5歳の言葉を本気にするとは」と言っていた。もちろん姉は医者になりたいわけではなかったので別の道を選んでいる。ただ、これは母親の言い分であり、元々進学校に勧めたがっていたに違いないのだ。母親の中にあった進学校に進めたかった理由はきっと話してはくれないだろう。

勉強とは本来楽しいものなのでは

僕は天真爛漫に勉強というものを楽しんでいた。友達と楽しく競い合っていた。小学四年の夏までは。30を過ぎておっさん・おばさんにもなれば4年なんてあっという間だ。そんな短い期間でしか自分で勉強をやる楽しみを感じられなかった。いきなり塾というところに行かされ、受験のための勉強という無意味な知識を詰め込まれ、頭でっかちなクソみたいな子供が作られる過程に飲み込まれ始めた。

親はよく考えて欲しい。まず、ここで子供が行きたい!と自分で言ってきたならいい。それはやらしてあげて欲しい。しかし、あれこれ理由をつけて無理やりいかすという行為は金と時間の無駄になることを覚えておいて欲しい。それと親の世間体の理由でやらすこともしないでほしい。それはあんたの顕示欲だ。顕示欲の塊の親たちが話してる様はマジで気持ち悪かった。子供の話を出汁にくだらない話を長々と。友達によく言われていたもんだよ、お前のかーちゃんたちこわいよって。それはあなたたち受験をさせている母親たちのことだ。

地獄の入り口に

4年生のときに、今でもあるあの塾の模試を受けさせられた。最初は「腕試し」みたいなことで点数が良ければご褒美を買ってあげるということに純真だった僕は乗ってしまったわけだ。そこが全ての始まり。つっぱねてつっぱねてつっぱね通していればいれば諦められたかもしれないが、今となってはもう遅い。

初めての模試試験で緊張は極度に達したことは、まるで昨日のことのように思い出せる。無事終わってその日の夜寝ていたら嘔吐をした。緊張が解き放たれたせいなのかわからないけど。結局その模試の結果がどうなったのかは全然覚えていないのだが、その数ヶ月後に僕は塾に通い始めることになる。貴重な土曜日の5時という中途半端な時間に。まだ週休2日ではなく土曜日の午後は目一杯遊べる貴重な日だった。そんな中僕は2時間という無駄な時間を過ごすことになるのだ。そして僕は大事な友達とも遊べずになっていった。まだ始めの頃は週一だったのでよかった。ただ、次第に地獄と化していくのであった。

次回 僕は時計を見に塾にいく

[card id=”1513″]

[card id=”1529″]

Posted by
pono

制作会社でデザイナーとして勤務しています。綺麗にすること、整えることが好き。大人数が苦手。